2014年7月23日水曜日

三重大学アントレプレナー論 『未熟さの価値』

今年も三重大学のアントレプレナー論でお話する機会をいただきました。

講義といっても学術的な裏付けがあるわけではなくて、僕が経験を通して感じていることや考えていることがベースになっている話でどれが正解というわけでもないので、だったら学生と一緒に考えてみようというのが去年からとっているスタイル。学生たちが自分になかった視点に気づくきっかけになればと思っています。
































昨年の質問は7つでしたが(昨年の記事)、今年は時間の関係で5つの質問を一緒に考えてみました。それがこちら-


1.あなたにとって成功とはなんですか?
2.あなたを決定づけるものはなんですか?
3.努力は報われますか?
4.価値とはなんですか?
5.起業できる人とはどんな人ですか?


うち3つは去年と同じ質問ですが、基本的な内容を踏襲しながらも新しい要素を加えています。


アントレプレナー(起業家)といっても大企業の社長から一人親方まで範囲が広くて、始め方も進め方も目指すところもひとそれぞれ。ということで、1つめの質問は「あなたにとって成功とはなんですか?」というもの。

自分が満足できたら成功、目標に到達できたら成功、学生それぞれに答えがあって興味深いですが、僕から提示したのは(解答ではない)「挑戦する人の数だけ成功はある」ということ。ありきたりなんですが、高校を出たばかりで社会経験も少ない学生たちなので、こうした基本的なことを伝えることも大切だと思います。

また、僕たちは普段メディアを通じて成功者と呼ばれる人たちを目の当たりにしていますが、華やかなところだけを切り取って伝えていることも多い。そうした情報や他人の評価にも惑わされない自分の確固たるゴールを考えてみよう。というのが、ここでの問いかけです。






















2つめの質問は「あなたを決定づけるものは何ですか?」というもの。これは講義が変な方向にいってしまいそうで入れようかどうか悩んだのですが、やっぱり外せないなと感じて入れることにしました。

段階に分けないと難しそうだったので、まず最初に、空っぽの人間に1つだけ加えるとしたらどういう性格や行動を加えるのが一番自分らしくなるのか?ということを聞いてみました。学生からは、自分の性格の中で一番強いものや普段よくとる行動といった長所・短所に近い回答が返ってきます。


そして、次の質問-

「科学技術が進歩してどこでもドアが完成しました。でもごめんなさい。ちょっと技術が足りなくて、転送ではなくてコピーになってしまいました。つまり、こちらのドアをくぐるときにあなたの体の分子構造を完璧に記録します。そして向こう側のドアで(向こうの素材を使って)完璧に再現します。でも、そのままだと二人になってしまいますので、こちらにいるあなたは壊していきます。向こうにまったく同じものができているので問題ないですよね?さて、この向こう側に完璧にコピーされたあなたが、これまでと同じあなただと思う人?」



同じだと答えたのは1人。それ以外の学生はそれは自分とは違うという回答でした。


"わたし" とは何か?という問いは哲学的な問いで、着想は子どものための哲学対話 (講談社文庫) から得ています。もちろんここで答えを出そうということではないし、その本の中で語られていることとも少し違うのですが、まず考えたかったのは、僕も含めて多くの人が向こう側にコピーされた自分(と同じ分子構造をもつもの)が完璧に同じ形であるにも関わらず自分ではないように感じる、ということについて。

"わたし" という存在が形に依存するとするなら、この一瞬も細胞は変化し続けていて定まらないし、体の一部を欠損しても自分ではなくなったとは感じないことから、どうやら "わたし" とは形ではなさそうだと。では、"わたし" とは何なのか?

ここで僕が提示したのは「生まれてから続くストーリが "わたし"」というもの。

お母さんのお腹から生まれ出てからこの肉体とともに続くストーリが "わたし" であるとすると、先ほどの質問で感じた向こう側自分が自分ではないように感じるのは、そのストーリーが一度途切れてしまうからだと考えると理解できる気がします。

で、なぜアントレプレナー論でこんな話をするのかというと、"わたし"  をストーリーとしてとらえることが、これから進めようとしている計画がこれまでと無理なくつながっているか?という客観的な視点を与えてくれるからです。

ちょっとしたアイデアに急に強力な助っ人が登場したり、大きなうねりを生み出したりなんてことはごく稀な話で、僕がいきなり「貧困問題を解決したい!」と言い出したとして、鼻で笑う人はいても、分かった全力で協力しよう!なんて人はそうそう出てこない。人が動かされるのはその人が歩んでいるストーリーから生まれる説得力。であれば、小さくてもいまできることを重ねていって説得力のあるストーリーにしていくことが、結局のところ一番ではないかとも思います。















3つ目の質問は、「努力は報われますか?」というもので、去年同じ質問をしたときはほとんど手が挙がらなかった質問ですが、今年は半分くらいの学生が努力は報われると答えました。今年の学生がポジティブなのか、景気や就職環境が改善しているのかは分かりません。

結果がすべてなときは必ずあるので結果よりプロセスなんて話にはしたくないのですが、良い結果であったにせよ悪い結果であったにせよ "わたし" というストーリーは続いていくのだとすると、チャレンジはストーリーに変化をつける要素のひとつ。平坦で変化のないストーリーよりもアップダウン激しい方が(本人の大変さはともかく、ほかの人にとっては)面白い・興味深いと感じるものなので、まちがいなく次につながっている。”わたし" のストーリーという視点があれば、結果とプロセスの考え方も変わってくると思います。






そしていよいよ今回の本題ともいえる4つめの質問、「価値とはなんですか?」

社会に価値あるサービスを提供したい、これまでにない新たな価値を生み出したい、起業に関連してよく聞くフレーズですが、何に価値を感じるかは人それぞれだというのが学生から返ってきた回答です。


確かに何に価値を感じるか、それをどう扱うかは人によって違います。例えば、僕のノートについている小さなキーホルダー。1つ1つは数百円程度の量産品ですが、海外のいろいろな国で買い求めたセンチメンタルバリューの詰まった僕にとっては一品もの。それを僕の場合は日々持ち歩いていますが、そんな大事なものを無くしたり盗まれたりしたら大変だ!と箱に入れて大切に保管する人もいると思います。



























ここで考えたかったことのひとつは、"自分の提供すべき価値" というハードルが上がっているんじゃないか?ということ。検索エンジンやソーシャルメディアの発達で情報が得やすくなった半面、似たようなアイデアが既にあることを知ってしまうことで、自分も最低限そこまで達してからでないと勝負できないのではないか?と思ってしまいアウトプットができなくなってしまう状況になっていないか。


もうひとつは、一方でしっかりと時間をかけて作った優れたものの価値が思ったほど出ない状況が生まれているということについて。そこで、

「ここ5年くらいで人類が史上最大に生産・消費したものがあるんですが、それが何か分かりますか?」と聞いてみました。


みんななんだろう?という顔で回答は出なかったですが、それは情報とコミュニケーション。


ソーシャルメディアの普及で「おはよう」という投稿さえ意味をなすようになった-これは数年前に名古屋の大学でもした話。こうして情報やコミュニケーションを大量に生産・消費をしていくと、1つ1つの単位は軽く(インスタントにというべきか...消費されやすいサイズに)なっていく。

つまりどういうことかというと、1年かけて作り上げたコンテンツも、落書きのようなコンテンツも同じ感覚で軽いコミュニケーションの中で消費されていってしまうということです。インターネットに長く触れている人ほどその感覚を感じているのではないかと思いますが、ストーリー性よりも瞬発力のあるコンテンツのほうが扱われやすくなってきている。

乱暴にいえば、時間をかけて完璧に仕上げるより未熟でも小出しにしていったほうがいまの時代にあっているということです。










で、僕からの提示も「未熟であっても "わたし" を発信していく」 ということ。














見渡せば情報、製品、サービスが溢れていて、しかもその質は高い。そんな状況なので起業する人にとって求められている価値の平均点は高いように感じる。一方で高い価値を提供していながら秒単位で消費されていくコミュニケーションのネタになってしまい価値の低下に悩んでいる人もいる。

情報・コミュニケーションが大量に生産・消費されていくことによって、価値の感じ方もより個性化していっているので、少々未熟であっても発信することで自分が提供している価値が受け入れられる場所をいち早くみつけて、そこでの声に耳を傾けて次の方向性を探っていくアプローチがいまの状況にはあっている。

その時にここまで考えてきた "わたし" というストーリーから生まれるメッセージ性(どういう道を歩んできたのか/どういう道を歩もうとしているのか)が共感を得るための欠かせない要素で、もし、このメッセージ性がない発信してしまったとすると、それは単にノイズとなってしまう可能性が高い。
 



























あと、もう少し未熟さというものについて付け加えると、完璧なものというのはそれを受け入れるしかないですが、未熟さというのはそれに関わる人たちのクリエティビティを生み出すきっかけになる。どういうことかというと、正論を言われたら「お...おう」となるしかないですが、バカな意見っていうのは「バカだな、そうじゃなくて...ウンヌン」といういった具合に人の思考を促すということ。

なので、以前はブログで意見を発信するのが怖いなと思うこともありましたが、最近では、少々間違っていてもやはり発信することが大事で、それによってフィードバックも得られるし、仮に読んだ人が全く受け入れられないと感じたとしても、その人がそれを全く受け入れられないということを認識できたことに意味があると考えられるようになりました。

あと、1つのスキルが未熟であったとしても、例えば、絵がそれほどうまくなかったとしても、文章にその絵を添えることで独特の雰囲気が生まれて価値につながるなんてこともある話で、自分のここは駄目だからと選択肢から外さずに、自分が感じるあらゆる足りないところを「未熟さの価値」という視点でみて、どこか活かせるところがないかを考えていってもらいたいなと思います。





講義の締めくくりは「起業できる人とは、どんな人ですか?」という質問。これは、昨年とまったく変わらない内容、というか、アントレプレナー論を担当されている武田先生の受け売りでして、「そうした星の元に生まれた人」だと思っています。選ばれた人のみがやれる崇高な職業…なんていう話ではなくて、ずっとできない人をみていると起業という一歩を踏み出せるかどうかは性分なんだと思う訳です。







最後に。

去年は名古屋の講義に向けて株式会社LIGの伸さんにアドバイスいただきましたが、今回の講義に際しては名古屋嬢みさとさん(アルファツイッタラー)からアドバイスをもらっていて、それで最後のところのピースが埋って納得のいく講義内容になりました。ありがとうございます!

あと、長い間商業高校で先生をしていて今は大学に通っているという方がおられて、商業高校の生徒はほとんどが女性なので、いったん将来を計画して社会に出るんだけども、結婚・出産などを経て社会に戻ろうとしたときにパートやアルバイトしか職がないような現状があると。そうした女性たち(高校生)にこれからどのような道筋を示していけばよいのかということを研究のテーマにされているそうで、その方から「何か少し見えた気がする」とおっしゃっていただけたり、武田先生からは年々内容がパワーアップしているという評価をいただけて、最高に嬉しかったです!



今年もこのような貴重な機会をいただきまして、ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。笑

2014年7月10日木曜日

子ども向けプログラミングワークショップ『LittleCoderMie』

MacBook Airを買いました。あまりにMacが久しぶりすぎた(前は15年くらい前にOS9とOSXのマルチブート機を持っていた)のでとっかかりがわからず、近くにいたデザイナーのみなさんに「まず何やったらいいの?」と聞いたら「これで何をしたいんですか?」と逆に質問が返ってきたので「...とりあえずモテたいです」と答えてみたところ、まずスタバに行けからはじまり、スーツに着替えろだの、髪型をもっとシュッとしろだの、英語のサイトを読めだのといったMac関係ないというか、僕へのダメ出しがきて正直困惑しています。



7月6日(日)に四日市市では初となるLittleCoderMie(リトルコーダーミエ)という子ども向けのプログラミングワークショップを開催しました。会場はビズスクエアよっかいち。

























LittleCoderMieは、もやし工房の石黒さん(以下、もやし先生)が中心となって運営されていて、これまでの4回は津市で開催されてきま した。ジーニーズは協賛・協力というかたちで今回から参加させてもらっています。

毎回テーマが違っていて、今回は「世界で一つのゲームを作ろう」というもの。上下の矢印 キーを使って迫り来る弾を避けながらゴールを目指すという簡単なゲームながらプログラミングの基礎が詰まっています。



ただプログラミングとはいっても、僕らが実際に仕事で使うような本格的なものとは違って、Scratch(スクラッチ)というツールを使います。このScratchを使えば、英語と記号が並んだ難しい文法を覚える必要がなく、マウス操作と数字が押せるくらいのスキルがあれば大丈夫。

アニメーションやゲームをブロックを組み合わせることで作っていけるので、楽しみながらプログラムを学んでいくことができます。

良くも悪くもなんですが、プログラミングの苦痛な部分がうまく取り除かれていて、子どもだけでなく大人にもオススメのツールです。一番小さい子で8歳の女の子が参加していましたが、基本的な操作はすぐに覚えていたように思います。





























まあ、それでもプログラミングというと難しいイメージが拭えないかと思います。プログラミングを1行で説明すると、

「開始から終了までの手順をひとつずつ決めてコンピューターに指示していくこと」

です。

もう少し身近な例でいえば、運動会の開始は9時。なので集合は8時半にしよう。9時からはまず校長先生の話が5分間あって...云々。これがプログラミング。それが証拠にこの運動会の進行表のことを「運動会のプログラム」と呼びますよね。つまり、得て不得手はあってもプログラムは誰でも作れるものなんです。

ふと周りを見渡してみると、信号待ちのサラリーマンが確認している時計の中にも、コーヒーを販売しているレジの中にも、隣に座っている女の子が覗き込んでいるスマホの中にもプログラムは動いています。もうプログラム無しでは我々の生活はなりたたないといっても過言ではないくらいに。そうした背景があってか、いま「教養としてのプログラミング講座」という本がよく売れているそうで、





本格的なプログラムをとまではいかなくてもせめて動作原理くらいは知っておきたい。そんなニーズが高まっているのかもしれません。




(ここからは、こうした取り組みを考えるひと向け)


告知にあたって知人に話をしたり、コミュニティラジオに出演したりする中で分かってきたのは、大人でもこうした授業を受けたいと思っている人が結構いるということでした。あと、家に帰ってからプログラムを改造するといって張り切ってやっていたんだけど、うまくできずにあきらめちゃったって声があって、これは大人が学びたいと思っていることと関連しててちょっとした課題だなと感じます。

数学や国語などの勉強であれば、親にもそれなりに知識があるので、なんとか教えることもできますがプログラムとなるとそうはいかない。やはり、まわりに聞ける人がいないというのはあきらめる原因に直結してしまう。

で、これは子ども向けのプログラミングワークショップをどう考えるかによって変わってくると。基本的にプログラミングというのは、ロジックの誤りによる複雑なバグ(思った通り動作しない、エラーになること)からスペルミスや記載漏れなどによる単純なバグまで、うまく動かないことへの対処がかなりの割合を占めます。特に嵌ったとき(原因がわからずずっと同じ問題に対処し続けること)が苦痛で、まあ仕事なのであきらめるわけにもいかずなんらかの対処を見つけるわけですが、こうしたドロドロとした部分というのは先に書いたとおりScratchを使っていると最小限になります。

そうしたトライアンドエラーを繰り返しながら進めるという部分まで含めてプログラミングだとすると、どこかでScratchから本格的な言語にスイッチしないといけない。ただ、子ども向けのプログラミングワークショップというのは、プログラマー養成講座ではなく、教養として考えていったほうがよいのではないか?というのが僕の意見です。

学校で水泳とかやりましたけど、 僕は水泳が嫌いだったので続けようとは思いませんでしたが、じゃぁやらなくてよかったかというとそうは思わないので、プログラミングもそれと同じだと思うわけです。このワークショップでプログラミングが好きになった子はその先に進めばいいし、どんなものかだけ分かればいいという子はそれでいいのではないかと。





次回、LittleCoderMieは8月17日(日)に津市の三重県立総合文化センターで開催します。Scratchとセンサーボードをつなげて「光や音を利用した作品をつくろう」というとても面白いテーマなので、ぜひご参加いただければと思います。

詳細・お申し込みはこちらから




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